更新者 専務

8月20日(月)
   母の履歴書
 生まれおちたる星のもと、わが身の定め知るすべもなく、まよえる人生に、幸多かれと願う。そう、きょうは母の誕生日。70歳をいくつ出たのでしょうか。勿論まだまだ元気で頑張ってます。
 さて今日は恥ずかしながら、母の人生の一こまを紹介しましょう。まぁ今日一日の掲載ですからよろしいでしょう。でも最近このページ見てるらしいので、生々しくは遠慮しときます。さてとりあえず戦前に昔の公務員の家庭に生まれ5人兄弟?の4番目。足の速い元気な少女期に足を患い、膝が曲がらないようになりました。戦争も終わり、本人は教職員になろうと思っておったそうな。戦争後10年、縁あって6歳年下の父と見合い結婚。二人は何故に一緒になったのかいまだ不明、詳しくを語ろうとしない。しかし、最近の出来ちゃった婚とは違うそうである。
 さて、上記のからみもあるのですが、結婚後9ヶ月で私が誕生、なんややるやんけ、では無く、私は予定日より33日早く生まれた未熟児だったのだそうだ。それが原因かどうか分からないが私の左目は視力が無いのです。勿論私はまったく気にせず、すくすくのびのびと育ちました。それから弟が出きもう大変な生活へと進んでいくのです。
 家はご存知自営業、自転車からバイクへ自動車への急速な変遷を、もう家族が無茶苦茶になりながら、父母の頑張りと社員の協力とお客様のご理解のおかげで、今日へときたのです。そのなかでも母一番苦労をしたのです。自分からは絶対に泣き言など言いませんが、みんなは知っているのです。唯一知らないのは父かもしれませんね。
 現在は詩吟の講師や老人大学、それに国会議員の後援会にと飛びまくっております。勿論車で。人間、趣味もっておかなあきまへんな。そんな母に「人間、他人と同じように働ける間は、絶対に世間に甘えてはあかん」といつも言われてきました。忘れてましたが、母は50を過ぎて問題の片足を切断、義足で生活しております。これからももっと元気で頑張ってください。誕生日おめでとう。

              ありがとう こんな言葉じゃ 物足りない
                       わが身こにした 母の人生

  追伸 私の詩は自由詩です。季語が無いとか難しい事考えていません、あしからず。
  皆さんのご意見、お待ちしてます。間違いのご指摘など、よろしくお願いします。
   姫路売りもんズ、22日姫路商工会議所出没します。誰か会議所の裏ネタ下さい。ほんまにこまってますのや、お願いします。